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ブログ 2026.10.30
収穫の”一発勝負”から降りた農家だけが知っている新しい視点
稲刈り、明太子、そしてサンマ。
10月。
田んぼのあちこちで、
コンバインの音が響いています。
稲刈りは、お米農家にとって
一年に一度の大イベント。
同時に、来年一年分の収入が
ここで決まる”本番の日”でもあります。
昔は、田植えと稲刈りといえば家族総出。
村中で手を貸し合い、
その一度の収穫に、
次の一年の暮らしを懸けていました。
明太子屋さんが教えてくれた「10月の重み」
福岡の名産、明太子。
以前、明太子屋さんから
こんな話を聞いたことがあります。
明太子は、スケトウダラの卵。
仕入れの最盛期は10月から12月。
ここで良い原料を押さえられなければ、
一年分の売上を棒に振ってしまう。
自然を相手にする仕事は、
“その時”の収穫や仕入れで、
次の一年が大きく変わります。
スイカの値段で、父の機嫌が決まった
私の実家は、スイカ農家でした。
出荷は3月から5月。
およそ2か月の売上で、
その年の暮らしが決まります。
スイカが高く売れた年は、家の中が明るい。
父の機嫌もよく、
食卓も少しにぎやかになる。
安かった年は、その逆です。
父は一年中ピリピリしていて、
家の中には重たい空気が流れていました。
子どもながらに、
この”年に一度のくじ引き”のような暮らしが、
とにかく苦手でした。
今で言えば、
相性の合わない上司と、
毎日同じ部屋で過ごす感覚に近いかもしれません。
自分ではどうにもならないものに、
一年中、気持ちを引っ張られる。
ただ、職場が変えられるように、
作る品目や稼ぎ方も、変えることができます。
スイカからナスへ。「一度に」から「毎日」へ
私はやがて、スイカをやめて
促成ナスに切り替えました。
促成ナスは、秋から翌春まで
長い期間にわたって収穫が続く作り方です。
一度に大きく稼ぐのではなく、
毎月、毎日、コンスタントに売上が立つ。
【図解1】

切り替えてみて、気づいたことがあります。
売上が毎日入ってくると、心が安定する。
心が安定すると、
次の手を考える余裕が生まれる。
私には、このスタイルが合っていました。
「もうサンマ屋ではいられない」
今朝の日本経済新聞に、
北海道・根室の記事が載っていました。
根室は、サンマの水揚げ日本一を
長く守ってきた町です。
ところが、サンマの漁獲量は
この10年で約7割減。
町の漁獲全体に占めるサンマの割合も、
6割から4割に下がっています。
一つの魚が、町の経済を支えてきた。
その魚が獲れなくなれば、
漁師さんだけでなく、
加工も流通も、港の仕事全体が揺らぎます。
記事の中で、ある水産加工会社の社長の
言葉が目に留まりました。
「もうサンマ屋ではいられない」
この会社は5年ほど前から
サンマの事業を少しずつ縮め、
ホッケやホタテなど、
さまざまな魚の加工食品へ軸足を移しました。
SNSや展示会にも積極的に出て、
売り方そのものを
一から組み立て直しているそうです。
【図解2】

頭ではわかっていても、動けない
夏の大雨、猛暑、台風。
ここ数年の気候の変わり方は、
ひと昔前とはまるで違います。
農業も漁業も、大きな過渡期に入っている。
多くの方が、肌で感じていることだと思います。
それでも、長年続けてきたやり方を
変えるのは簡単ではありません。
頭ではわかっている。
でも、体が動かない。
その気持ちは、私にもよくわかります。
全部を一度に変えなくていい
白状すると、私は27歳のとき、
いっぺんに全部を変えようとしました。
JAへの出荷をやめ、人を雇い、品目も替えた。
売り方も、経営のやり方も、作物も、同時に。
結果、何も回らなくなり、
32歳で行き詰まりました。
根室の会社は、サンマを一気にやめたわけではありません。
少しずつ縮めながら、
別の柱を時間をかけて育ててきた。
振り返ると、変えるのは
「何を作るか」「いつ稼ぐか」「どう売るか」の
どれか一つからで十分だったのだと思います。
稲刈りの秋に、来年の稼ぎ方を想像してみる
ダーウィンの進化論を要約した言葉として、
よく知られる一節があります。
生き残るのは、最も強い者でも、
最も賢い者でもない。
変化に対応できる者だ、と。
強くなくてもいい。
賢くなくてもいい。
少しずつ変わっていけばいい。
そう受け取ると、
この言葉が少しやさしく聞こえてきます。
今年の収穫を手にしながら、
来年の”稼ぎ方”を、ほんの少しだけ想像してみる。
そんな秋があってもいいのかもしれません。
自分の経営のどこから変えられそうか、
一人で整理するのが難しいときは、
農テラスの無料相談や、
農業経営者が集まる「農ビジ会」で
一緒に考えてみませんか。
農業界を一緒に照らしましょう。