新着情報

What’s new

ブログ 2026.09.18

売上2000万でも所得ゼロ。27歳で直面した経営の壁

こんにちは。
脳を耕す農業経営戦略家の山下弘幸です。
平成元年、農業大学校を卒業して実家のスイカ農家に就農しました。 27歳で経営を継いだとき、目の前にあったのは「儲かる農業」ではなく、所得ゼロという現実でした。

同じ畑、同じ時代、同じように「作れば売れた」はずなのに、父と自分の間には何が違ったのか。今振り返ると、そこにははっきりとした理由がありました。

父の代は、売上2000万・所得1200万だった

実家は熊本でスイカを作っていました。学生の頃、農協出荷でひと玉1000円前後、シーズン中に約2万玉を出荷していたので、売上はおよそ2000万円。経費が800万円ほどだったので、農業所得は1200万円ほどあったことになります。

けれど、暮らしぶりはまったく違いました。中学生になるころまで五右衛門風呂で、テレビもカラーではない。お小遣いすら決まった額しかもらえない。「うちは貧乏だから」と言われ続けて育ちました。

成人してから知ったのは、父が実は年間1000万円近くを貯め込んでいたという事実です。生活水準を意図的に下げ、儲かった分を使わずに蓄えていた。理由を聞くと、こう返ってきました。

「農業はいい時ばかりじゃない。いい時に貯めておかんと、悪い時にやられる」

経営を継いだ瞬間、数字が崩れた

27歳で経営権をもらい、自分の代になってからの数字は、売上1500万・経費1500万・農業所得ゼロでした。

売れば売るほど値段が下がっていく感覚だけがあり、何が起きているのか自分でもよくわかっていませんでした。生活は妻の貯金を切り崩してしのぎ、そこからさらに、周りに勧められるまま4800万円をかけて温室を建てました。補助や無利子融資があるからと、深く考えずに判断した投資でした。

売上1500万円のうち480万円を10年かけて返済に回すと決めた時点で、正直、無理のある計画でした。

儲かる農業と儲からない農業は、紙一重だった

父の姿を見て育った自分は、「いいものを作れば売れる」ことしか知りませんでした。けれど時代はすでに変わっていて、農協に出荷しても、思っていたより安い仕切り値が続くようになっていました。

同じように働いているのに、結果だけが違う。その差がどこにあるのか、当時はまったく見えていませんでした。今振り返ると、値段が高いときに売り込み、安いときは動かないというのが本来の農産物営業のはずなのに、自分は逆をやっていたことに、ずっと後になって気づきました。

わかったのは、経営を知らなかったということ

一生懸命働いてはいました。1日10時間、365日、休みなく。それでも状況は良くならず、周りのせいにばかりしていた時期もありました。

あるとき、たまたま手に取った本の一言をきっかけに、「農家だから経営は関係ない」という思い込みに気づかされました。父がやっていたのは、実は経済界でも語られる「ダム式経営」そのものだったんだと、そこでようやくつながったのです。

ダム式経営という考え方

経営の神様と呼ばれた松下幸之助さんは、こう語ったそうです。

「ダムのように、多いときに貯め、少ないときに流す。それが経営だ」

収入には波がある。だからこそ、儲かったときにどう使うかが、次の時代を左右する。父が黙って続けていたのは、まさにこの考え方でした。

自分の代でその意味を理解できていなかったことが、所得ゼロという結果につながっていたのだと思います。

今、伝えたいこと

農業は特別な仕事ではなく、経営そのものです。売上をいくら作っても、支払いができなければ経営とは呼べません。

同じ時代を生きても、結果が分かれる理由はここにあります。今、600件以上の農業経営に関わる中で見えてきたのも、この差がすべての起点になっているということです。

ここから先、農家の数はさらに減っていきます。だからこそ、一人当たりの生産性と、儲かったときの備え方が、これまで以上に問われる時代になっていきます。

もしこの記事を読んで、自分の経営を見直すきっかけが欲しいと感じたら、無料相談や農ビジ会でお話しできればと思っています。

農業界を明るく照らす農テラス
今日も一緒にこちらの脳を耕しましょう!

CONTACT US

お問い合わせ

只今、無料経営相談を承っております。
お気軽にご相談ください。